追悼コメントなんて書かない


ハゲタカみたいな真似はしたくないんだ!なんてことを考えているのですが、書かざるを得ないのが性。(さが)


SF小説の翻訳家で知られる浅倉久志氏が2010年2月14日、心不全で死去していたことがわかった。79歳だった。浅倉氏はカート・ヴォネガットタイタンの妖女』や、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』などの翻訳者として知られる。ミステリー小説に強い出版社・東京創元社は2010年2月16日、自社のHP内のニューストピックスでも浅倉氏死去を伝えた。同社のヒット作でもあるSF小説『タウ・ゼロ』(ポール・アンダースン)について、筆者が1998年に来日した際、訳者の浅倉氏に対して「素晴らしい翻訳だった」と絶賛したというエピソードを紹介した。この時、「シャイで温厚な」浅倉氏はにこにこと笑っていたというが、実は本人はまったく聞いていなかったという後日談も紹介している。また、「ハヤカワ・ミステリー」のシリーズで知られる早川書房も17日、浅倉氏が海外SFを日本に根付かせた功績を紹介した。彼の翻訳や紹介でSFの面白さを知ったファンや作家、評論家は数知れないと回想している。「あとがき」やエッセイの名手としても知られ、その業績はエッセイ集『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(06年、国書刊行会)に詳しいという。


以上MSNニュース。


当時、高校生の私にとって村上春樹カート・ヴォネガットの文体のクールさは、人生を狂わす価値のあるものだった。(何を以て狂ったと言えるかには諸説がある。)この二人の文体を私に届けてくれる時、ひとつの媒介になっていたのがこの浅倉氏であった。彼の文章は決して名訳とは言えない。90年代に入ってセックスのことをお○○こと言う日本人はいないし、謎の擬音はいくら読んでも謎のままだった。けれども、彼の訳すヴォネガットの文章にはある種の潔さがあった。諦めというのであろうか、人間や個人が確実に愚かな方向に向かっているであろうというヴォネガットの予見を、わかりやすい形式で我々に伝えてくれた。あの老SF作家キルゴア・トラウトの言葉を引用するとしたら――「人生はくそったれだ。」ということを。漂白し、平らに伸ばした木材パルプの上にインクで記された奇妙な物語の数々を我々に届けてくれた、ロマンチックで偉大な翻訳家を私は偲ぶ。


☆暗示か分からないがニュースがあった日の夜、偶然カバンの中にあった本二冊。

地球幼年期の終わり (創元推理文庫)

地球幼年期の終わり (創元推理文庫)


☆浅倉氏のペンネームは、アーサー・C・クラークから頂戴したそうな。


☆ちなみに、彼は大阪外大のOBであったりもする。