先生!忌野清志郎が死にました。


書こうか書かまいか迷っていたけれど、やはり書きます。


僕はとある私立の女子高で国語の教師をしており、それは3年生の国語表現の授業の最中の出来事でした。
生徒達は扱いやすいというわけではないのですが、サブカルチャーキッチュな方面の芸術(笑)に造詣が深い娘が多いので、今までも音楽や漫画の話なんかをして盛り上がったりしていました。


表題は昨日の授業中の生徒の発言です。なんだったかな、歌の歌詞の授業だったと思います。
自分でも意外ですが、彼女の発言を聞くまで清志郎が死んだことを深く意識することはありませんでした。何というか、実感がなかったんです。転移して、昨年夏くらいから情報が途絶えて正直、嫌な雰囲気は感じていました。でも、今年のサマーソニックくらいには復活して、アルバムなんかを出すんだろうな。「King→God→夢助」ときたら次はなんだろうな。程度に考えていた矢先だったので、面食らっていた部分があったのかも知れません。もしくは信じたくなかったんだろうな。なんて。


しかし、彼女の声が教室に響いて、その反響が周辺から返ってきて、さらに僕の耳に入ってきて「ああ、死んだよ。」と言った瞬間、「ああ、そうなんだな。」と実感しました。この時の感覚を文章にするのは難しいのですが、「やっぱりなと感じた。」というのが一番正しいのでしょうか。亡くなったその日に、色んな人からメールが来たけれど、現実にこのことを人と話す機会はあまり無かったから。


彼女はこの連休中、クラスの友人にメールでこのニュースを伝えたり、父親とその死を悼みあったりしていたそうです。また何人かの生徒も、連休中にずっとラジオを聴いていたり、家族とCDレンタル店でCDを借りて聴いたりしていたそうです。実際に、会話に清志郎という名前が出るだけで、憂鬱になるという生徒も何人かいました。うるさいクラスなので、その後の「雨上がりの夜空に」の合唱を黙らせるのには少々苦労しましたが。


まあ昨日の話しながら、「本当かよ。」と思ってしまいますね。だって僕らの世代にもRCのファンなんて少なかったし。その反面、嬉しかった。生徒達が、僕や僕より上の世代の尊敬している人の死を本気で悲しんでいるような気がして、とても嬉しかった。くさいかも知れないけど、そこに世代間の共感みたいなものを感じたわけです。清志郎の死を深く感じさせたのはその発言からでしたが、悲しいと同時に、この共感がすごい心地よかったんです。


「なぜ悲しいニュースばかり TVは言い続ける? なぜ悲しい嘘ばかり俺には聞こえる。」by Jump(忌野清志郎)


まとまりもないし、まとめようが無い文章ですね。すみません。
こんな、女子高たち生にまで愛される清志郎さんはやっぱり幸せだ。
彼女らがいるうちは、この世代はまだまだ大丈夫だ。
清志郎さんと、その音楽と、清志郎さんの音楽を聞いて育った世代が作った作った音楽で育った子どもたちだ。まだまだ、大丈夫だ。
今から俺も、そういう子どもたちを育てるから、約束しますから、安心して逝ってください。


合掌


http://www.youtube.com/watch?v=b85bd2f_G48