一月の路上に捨てる

母の暁美が私を妊娠したとき、病院で読んでいた本は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』だったというのはあまりにも有名な話ですが、はじめのあのシーンで吐気を催して読むのをやめてしまったということはあまり知られていません。


そんなわけで、2006年の芥川賞受賞作の『八月の路上に捨てる』を読んでいました。まず、審査員の酷評!『なぞっているだけ』とか、『病人以外が出てくる作品が読みたい』などと、ひどいことばかりかかれていました。今や、賞ならず、ショーに成下がってしまったと言われている芥川賞。審査員の言葉までカメラを意識しているのですね。


そんな私の台詞も何かを意識してますね。
26歳が読むには良い(手放しではない)作品でしたよ。主人公の佐藤(藤はハの方の藤)は、映画の脚本を書きながら自動販売機の飲料交換のアルバイトをしている。彼は捨て切られないけれど、叶うとは思えない夢を抱えながら、弱さ故に女性関係にうつつを抜かし続けている。きっと、どうにもならないんだろうなという鬱屈した描写や、シリアスなシーンに急に語られるジョークが諦めの雰囲気を強くしてよかった。ただ、一人称作家が、急に三人称書きにしたような、なんて言うかな、対象を認識出来ていないような違和感があったり、私は本をよく読んでますよ!てな雰囲気があったのがわけもなく残念でした。芥川賞を狙った作品と揶揄されていた割には、俗な小説だなと感じました。(これは褒め言葉)


授業で『こころ』をやっています。
次は、それについて話しますね。